緑黄日記

水野らばの日記

走馬灯編集サミット

 

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素敵な光景に出会すと「これを死ぬ間際の走馬灯に入れたいな」と思う。

 

例えば、私が勤務する学校での出来事である。放課後、私が教室のドアを開けると女子生徒数人がきゃっきゃしている。その中心に比較的控えめな性格で普段は化粧っ気など全くない女子生徒が椅子に座っており、彼女はギャルっぽい女子生徒にヘアアイロンで髪を巻いてもらっていた。私はこの燦たる光景を目の当たりにし、その尊さに膝から崩れ落ちた。このような時に私は思うのである。「これを死ぬ間際にもう一度見たい」と。

 

今際にはこれまでの人生が走馬灯のように駆け巡ると言う。しかし、赤子の頃から現在に至るまでの全てが上映されるわけではないだろう。人生のハイライトがダイジェスト版としてお送りされるのが相場である。これは人生の総決算と言ってもいい。素敵な走馬灯を見て、冥土に居を移したいものだ。

 

私のような衝動だけで生きている人間にゆとりある最期が待っているとは到底思えない。臨終の瞬間は唐突に訪れ、「えっ、あっ、まじか~、次は深窓の令嬢に可愛がられる子猫になりたいな」と思いながら人生の幕を引いていくことであろう。このような逼迫した状況であれば、「あ~あんなこともあったな~」と呑気に記憶を巡らせている時間があるはずもない。一瞬で走馬灯のスイッチを押し、素晴らしい人生のハイライトを鑑賞できるよう、今のうちから上映内容を考えておくべきではないだろうか。

 

そうして、私の脳内では『走馬灯編集サミット』が発足した。

 

「それでは、水野らば氏における"今際の走馬灯編集サミット"を初めて行きたいと思います」

 

スーツをパリッと着こなし、黒髪を綺麗に撫でつけたナイスミドルが粛々と言った。ここは私の脳内なので、無論このナイスミドルは私である。彼の宣言の直後、唐突に老夫の私が立ち上がり、大音声を上げた。

 

「青春時代こそ燃ゆる季節だ!」

 

彼は白い髭を揺らして語を継ぐ。

 

「あれは高校3年生の頃、わしには好意を抱いていた背の低い女の子がいた。体育祭前日、誰もいなくなった教室で、わしはその女の子にクラスカラーと同じ色のマニキュアを塗って貰った。あの瞬間こそ青春の最たるもの!これを走馬灯に入れずして、何を入れると言うのだ!」

 

ゴージャスに着飾った貴婦人の私たちが「恋は定番ですわね」と相槌を打っている。老父の演説を皮切りに、出席者たちは今際の走馬灯に差し込みたいエピソードを口々に喋り始めた。やいのやいのと騒ぐ水野らばたち。私のなけなしの建設性を一身に引き受けたナイスミドルの私が「ちょっと!一人ずつ喋りましょうよ!」と声を張り上げるものの、出席者たちは喋りたいという衝動だけで口々に喋る。

 

ピンクのインナーカラーを入れた妙齢の女性の私は言う。

「中学3年生の頃に女の子と一緒に花火大会に出かけたじゃないですか。あれなんていいんじゃないんですか」

首からマイメロのポシェットをぶら下げた女児の私が言う。

「絵で町長賞を受賞したのなんていかがですか」

女児の隣の男児は仮面ライダー『アギト』のフィギュアをいじいながら言う。

「サッカーの試合で初めてゴールを決めたが嬉しかったな」

筋骨隆々の男の私は言う。

「広瀬すずさんを生で見たときのことを入れてください」

 

それぞれが好き勝手に喋っている。会議は踊る、それど進まず。喧騒が広がり、もはや収集はつかない。顔を赤くさせたナイスミドルの私がどこからか拡声器を持ち出してきた。彼は拡声器を口にあて、会議を制すために息を吸った。

 

その瞬間、会議室に低い声が響いた。

 

「よくわかんねえけど」

 

大きな声ではなかったが、喧騒の隙間をちょうど縫うように発せられたその言葉は出席者たちの耳に届いた。彼らは声の方向を一斉に振り返る。そこには、これまで傍観を決め込んでいた、ジーンズにパーカー姿の若者の私が足を組んで座っていた。会議室の喧騒は波が引くように収まっていく。彼は椅子から立ち上がった。

 

「よくわかんねえけどさ、死ぬ間際なんだから、別に実際あったことじゃなくてもいいんじゃねえの、楽しいことや面白えことを上映して気持ちよく死ねばいいんじゃねえの」

 

それは晴天の霹靂であった。死ぬ間際の走馬灯は人生のハイライト、実際に経験したことを上映するものであるという固定観念を打ち壊すコペルニクス的転回である。その衝撃的な提案に会場はざわめいた。老父の私など口をパクパクさせている。ナイスミドルの私は拡声器を下におろし、小さく「いいな、それ」とつぶやいた。

 

 

そういうわけで、私の死ぬ間際の走馬灯は羽海野チカ先生の漫画『ハチミツとクローバー』を上映することになりました。そして、スタッフロールが流れる中、私と新垣結衣さんが一緒に恋ダンスを踊って終わります。