緑黄日記

水野らばの日記

過去の自分を名推理で追い詰める

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先日、根城である安アパートの一室で僕は慌てていた。

 

新幹線の発車時刻が迫っている。もう家を出ないと間に合わない。しかし、僕は家を出ることが出来ないでいた。何故か。家の鍵がないのである。いつもは玄関横の洗濯機に取り付けたマグネットフックに鍵をかけている。しかし、そこには何もかかっていないのだ。鍵がなければ戸締りをして出かけることができない。こうして、僕は慌てていたのである。

 

家に帰ってきた時、玄関前で鍵がないことに気が付く、これは想像に難くない。外出中、どこかに置き忘れたか落としたかして、鍵を無くしてしまうのはままあることである。しかし、家の中で鍵がなくなることなんてことがあるだろうか。僕はある。今、実際に直面している。このままだと「家の中で鍵をなくして外出できなくなった人」として後世に語り継がれてしまう。

 

家の中をどれだけ探しても鍵が見つからない。いつも使っているリュックをひっくり返してみても、コートのポケットに手を突っ込んでみても、本棚の上を見ても、仕事で着ているスーツを振ってみても、昨日読んでいたハンターハンター32巻を開いてみても鍵を見つけることは出来なかった。この小さな安アパートの一室で鍵が身を潜めそうな場所などたかが知れている。しかし、捜索は困難を極めた。鍵は何処へ。

 

一通り捜索し、一通り途方にくれた後、「もしかして」と、ひとつの可能性に思い当たった。僕は部屋を出てアパートの階段を下り、アパート共用のゴミ箱に向かった。ゴミ箱の蓋を開け、その中から僕が昨夜に出したゴミ袋を手に取った。「流石にそんなわけないか。一応、一応ね」と思いながらゴミ袋を漁った。

 

鍵があった。

 

僕は自分への信頼の無さを信頼している。自分がクソドジポンコツ人間であり、真人間様たちが絶対しないような失態を演じる人間であるということに絶対の信頼を置いているのだ。何かを紛失した時、まずは自分の行動を振り返り、心当たりの場所を探すのが定石である。これは過去の自分との心理戦とも言える。僕は自分が無意識のうちに突飛な行動を取ることを理解している。そのため、紛失した鍵を「もしかして僕は家の鍵をゴミ箱に捨てたのでは?」と思い当たって鍵を見つけだしたように、この心理戦に勝利することができる。ひとつふたつ多くの手数をかけることで、そもそも家の鍵をゴミ箱に捨てない真人間様たちと肩を並べることができている状態である。KAT-TUNが「ギリギリでいつも生きていたい」と歌っていたが、この「ギリギリ」とは僕の現状を指すのかも知れない。

 

そんなことがあった数日後、イヤホンが無くなった。

 

通勤時に白のワイヤレスイヤホンをするのは僕のルーティンのひとつである。部屋を出る前、いつものようにイヤホンケースを開けると、ふたつの窪みだけがそこにはあった。イヤホンが無いのである。昨夜、イヤホンで芸人『囲碁将棋』のラジオを聴きながら帰宅したところまでは覚えている。つまり、ふたつのイヤホンは一夜のうちに失われてしまったということだ。これは大事件である。明日の朝刊の一面にこの事件が取り上げられているのが目に浮かぶ。これは難しい事件だ。何せ密室である。しかし、僕は英国の名探偵さながらの推理を展開していく。確か、ちょうど鹿撃ち帽子にインバネスコートという風貌で、手にはパイプを持っていたような気もする。

 

「イヤホンはどこへ消えたのか。私はもうすでにイヤホンのありかに検討はついている。それでは外に出ようか、ワトスン」

側に立っていたワトスンは驚いた様子で答えた。

「待ってくれ水野、この部屋は密室だったのだろう。イヤホンはこの部屋のどこかに、そうだな、ベッドの隙間か、コートのポケットを探せば出てくるのではないか」

「違うね。この部屋にイヤホンはない。すでに犯人は外に運び出したのさ」

「なんだって。犯人はイヤホンをこの部屋で取り外したのだろう。そして、またこの部屋で耳に取り付ける予定だった。外に運び出す意味がないじゃないか」

「初歩的なことだよ。犯人はクソドジポンコツだったのだ」

私は一呼吸置いて語を継いだ。

「僕の推理はこうだ。犯人は囲碁将棋のラジオを聴きながら帰宅した。彼はいつも通り、マスクを外し、丸めてゴミ箱に放り投げる。その時、一緒にイヤホンをゴミ箱捨ててしまったのだよ。そして、そうとは知らず、昨夜のうちにゴミ袋をアパート共用のゴミ箱に出したのさ」

 

イヤホンは普通に本棚の上にあった。