緑黄日記

水野らばの日記

改札で象の雄叫びを聞きたい

 

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先日、駅の改札を通ろうとした時、僕の前方に小学校中学年くらいの男の子がいた。

 

彼は小さな体を気品溢れる制服で身に包んでいた。通学途中なのであろうか。小学生がひとり電車に乗って学校に向かうとは、やはり気品の大都会、京都である。僕のように鼻水を垂らしながら小学校までの畦道を歩き、1ヶ月に1回は田んぼに落ちて、泥だらけで学校に着くなんてことはないのであろう。

 

彼は首から下げた交通系ICカードを手慣れた様子で改札にタッチする。すると、改札から「ピヨピヨ」という音がした。僕はこれに驚いた。普通は「ピッ」である。僕も背広姿のおじさんも髪色がピンクのお姉さんも「ピッ」だ。しかし、この改札は確かに「ピヨピヨ」と可愛く鳴いた。もしかしたら、この改札は特別仕様なのかもしれない。改札造り職人が潜ませた遊び心なのだろうか。僕もこの改札を通れば、「ピヨピヨ」と可愛い鳴き声を投げかけられると思うと心が躍る。僕は少し興奮しながら、改札に交通系ICカードをかざした。

 

「ピッ」

 

改札は「ピッ」と味気のない声で鳴いた。めちゃくちゃがっかりした。胸の高鳴りを返してくれ。もう少しで駅員さんに掴みかかるところだった。

 

調べてみると、子供用の交通系ICカードは改札で「ピヨピヨ」と鳴く仕様になっているらしい。なるほど確かに子供の運賃は大人のそれと違うため、区別しなければならない。本当に子供が子供用の交通系ICカードを使っているかを確かめるその方法が「ピヨピヨ」なのだそうだ。駅員さんに掴みかからなくてよかった。ここまで調べ、僕は思った。

 

子供だけ「ピヨピヨ」となるのずるい!!!

 

僕も改札を「ピヨピヨ」と鳴かれながら改札を通過したい。絶対に「ピッ」よりも「ピヨピヨ」の方がいい。鉄道会社に「僕もピヨピヨという音がいいんですけど」と抗議の電話を入れようかな。

 

まあ、「ピヨピヨ」で無くても良い。自分で改札を通る時の音を選びたい。僕が初めて携帯電話を持った頃、つまりはガラケー時代である。ガラケーは着メロと呼ばれる文化があり、メールや電話の着信音を自分でカスタマイズすることが主流であった。着メロを選ぶ感覚で改札を通る時の音を選べるようになればいい。

 

例えば、早朝に仕事へ向かう時、改札に交通型ICカードをタッチすると、僕の敬愛する池田エライザさんが「頑張れ!」と言ってくれる。これはめちゃくちゃいいのではないだろうか。月1000円は払える。このようなビジネスチャンスを前に鉄道会社は何をしているのだろうか。

 

他にも好きな曲が聴けたり、ファンファーレが鳴ったり、ドラクエのレベルが上がったときの音が流れたり、象が「パオーン」と雄叫びを上げたり、あとは僕が昔好きだった女性の名前を連呼したりして欲しい。

 

改札を通る時の音を自分で選ぶことができたら、改札前で繰り広げられるドラマにも華を添えられると思う。もしかしたら、自分に素直になることが出来て、恋人と別れずに済むかもしれない。

 

 

 

「じゃあ、元気でね」

 

彼女は少しだけ声を震わせて言った。彼女は伏し目がちに僕の足元あたりを見つめている。

 

「そっちこそ」

 

これ以上の言葉をかけられるはずもない。

 

これがふたりの最後であることは先刻承知の事実であった。しかし、僕らはそれを口にしない。例えそれがハリボテであろうとも、美しく最後を飾りつけようとしているのである。最後まで彼女は聞き分けのいい女のフリを、僕は都合のいい男のフリをするのだ。

 

「じゃあね」

 

僕はそう言うと、彼女からの言葉を待たずに背を向けた。そして、人のまばらな駅の構内をゆっくりと歩き、改札へと向かう。彼女は僕の後ろ姿を見送っているのだろうか。後ろ髪を引かれているのは事実である。しかし、僕は振り返ることはしなかった。もしも、ここで踵を返して彼女の元に駆け寄り、彼女を取り戻したとしても、何も変わらないのであろう。もう、これは終わった恋なのだ。

 

僕は鞄からICカードを取り出した。改札を通り過ぎたら本当に終わってしまう。しかし、これはもう決めたことだ。今後、「あのときこうしていれば」「あの日に戻れたら」と思うこともあるだろう。しかし、僕はこの選択を正解にできるように歩いて行くしかないのである。

 

改札が「パオーン」と大きく鳴いた。象の雄叫びが人のいない駅構内に寂しげに反響する。

 

 

なんの話ですか?