先週の土曜日、僕は職場の印刷室にいた。職種的に本来であれば土曜日は休日である。しかし、僕は職場にいた。土曜日に出勤しなくてはならなかったのである。人間を休日に働かせて、この国はどうなっているのだろうか。国連に電話を入れた方がいいかもしれない。
仕事中、必要な資料を印刷するために印刷機を使っていると、印刷機がガガガと音を立ててからピーピーと悲しげに鳴いた。どうやら紙を詰まらせてしまったらしい。紙詰まりを直すため、僕は印刷機とがっぷり四つを組んで格闘する羽目になった。僕と印刷機の戦いは血で血を、もといインクでインクを洗う泥沼の様相を呈したものの、最終的に僕のラリアットがクリティカルヒットし、なんとか紙詰まりを直すことができた。ふと視線を印刷機から窓の外にやると、そこには雲ひとつない、透き通るような青空がある。こんなに気持ちの良い秋晴れのもと、僕は一体何をしているのだろうか。仕事で印刷機に紙を詰まらせて。吸い込まれそうな秋空と開けた窓からぬるりと入り込んだ涼しい秋風が自身のもの寂しさを強調する。
秋が苦手だ。
秋には否応なしに物憂げな気分にさせられる。秋はその肌寒さや日照時間の短さ、金木犀の香り、色付く木々、冷たい木枯し、そこはかとなく「終わり」を感じさせる空気感などを僕の鼻先に押し付け、センチメンタルを強要するのである。カラっとした秋晴れであっても、冷たい秋雨であってもそれは変わらない。秋はちゃんとハラスメント講習を受けた方がいい。
秋は過大評価されすぎているのではないか。
四季において、秋の好感度は高い。これは秋の過ごしやすさが主な理由である。夏のように暑くない、冬のように寒くない、春のように鼻や目をグズグズにする花粉が多分に飛んでいない。これが秋の好感度が高い理由である。確かに秋は夏や冬や春のように比べて気候的な意味で過ごしやすい。「過ごしやすい」という一本槍で好感度ランキング1位に躍り出ている。しかし、果たしてこれは秋の長所と言えるのであろうか。これは秋の長所ではない。他の季節の短所である。秋は他の季節にある短所がないだけなのだ。
春も夏も冬も短所はあれど、長所も多々ある。しかし、秋は何もないのである。他の季節にある長所と短所の起伏がない。そこにはただただ無が広がり、伽藍堂の季節に残るものはもの寂しさである。秋には「食欲の秋」「運動の秋」「読書の秋」「芸術の秋」などという二つ名が付いているが、これも秋に何にもないからである。秋はこういった二つ名をつけなければ輪郭が保てないのだ。それが秋である。
物寂しさを強要してくる秋への苦手意識は簡単に払拭できる物ではない。秋には、どれほど人間的繋がりを持とうとも『本質的に人間は孤独である』と感じてしまう。秋はあまりにも寂し過ぎるのである。例えば、僕が秋を恋人と一緒に過ごすことになったとしても、この物寂しさは容易に埋めることは出来ないだろう。
僕は駅前で佇んでいた。どことなく物憂げな空気を孕んだ秋風が頬を撫でる。
「おーい、水野くん、お待たせ!」
後ろから僕を呼ぶ声がした。振り向くと、背の低い女性が立っている。髪は栗色のウルフカット、くりくりとした目とぽてっとした輪郭がどことなく狸を思わせる。
「いや、全然待ってないよ」
「そう、よかった。はい、じゃーん、秋服の私でーす」
彼女はそうやって、ダボっとした蜜柑色のセーターを広げてみせた。「どうだ」と言わんばかりに誇らしげな表情を浮かべている。
「あら、可愛いですわね」
「ちょっと、反応薄くない?」
彼女は地団駄を踏むそぶりを見せた。
「今日、何にも知らされてないけど、どこいくの?」
「ふふふ、今日はですね、『小さい秋』を見つけにいくのです。今、ここに『小さい秋見つけ隊』の結成を宣言します」
「よくわからない隊のメンバーに加えられてしまった。紅葉とか見にいくの?」
「あれは、『大きい秋』だから。暖かな格好をして出てきたら思いのほか暑くて、コートを手に持って歩いている人とか、お地蔵さんに供えられたどんぐりとか、普通にリスとか」
「リスとか?」
「はい、じゃあいくよ」
そう言って彼女は歩き出した。秋風が頬を撫でる。もう、物寂しさは感じない。
秋、いいですね。過ごしやすいし。