緑黄日記

水野らばの日記

ヒヨコとペンギンのワイシャツ

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夏の初めに半袖のワイシャツを買った。

 

僕は数年前まで「半袖ワイシャツを丁度良く着れる季節なんてない。半袖ワイシャツを着ているやつは体の温度を司る機能が終わっている」という偏見を後生大事に抱えていた。今では幾分マシになったが、僕は自意識がアマゾンの包装のように過剰で、自分を守るために周囲を否定し、自己完結をするきらいがある。これは、かかとを鳴らして人生のステップを順々に踏む周囲の人間を遠巻きにし、彼らと歩調を合わせることを潔しとしなかった十代の僕に責任がある。乗り越えるべき壁を克服できずにここまで来てしまったのだ。僕は上記の偏見の様なガラクタを積み上げ、他者と自分を隔てる自意識の壁を作り上げていた。これを打ち破ったのは服屋の背の低い女性店員さんであった。僕の人生を外側からぶっ壊してくれるのはいつだって背の低い女の子である。数年前、ふらっと入った服屋で背の低いポニーテール店員さんに「お兄さん、これ似合いますよ」と手渡されたのが半袖ワイシャツであった。

 

当然、即刻購入した。

 

今では、柄をあしらった半袖ワイシャツとバンドTシャツで夏を回している。その中に夏先に買った半袖ワイシャツがある。青地に抽象化されたヒヨコやペンギンや名前の知らない鳥が所狭しと並んでいる。めちゃくちゃ可愛い。いかにも話の通じない人間が着る服だ。現在、この半袖ワイシャツは僕の1番のお気に入りである。先日、これを着て初めて街へと出かけた。

 

お気に入りの半袖ワイシャツを着て、河原町近辺を徘徊する。街へ出たものの特にこれといった用事はない。京都に起居して4ヶ月、休日に予定があったことなど一度もない。この間、交際費に計上できるものと言えば、オンライン飲み会で誕生日の近い友人のために購入したケーキくらいである。友人は画面の中なので、ケーキは僕が食べた。

 

何をするでも、誰と会うでもなく河原町近辺をうろつく。鴨川を眺め、ブックオフで古本を漁り、カフェでアイスコーヒーを飲み、買ったばかりの古本を読む。カフェから出て、根城である安アパートへ帰ろうとバス停で佇んでいた時のことである。内なる咆哮が轟いた。

 

「お気に入りの服を着ているのに!?!?!?!?」

 

お気に入りの服を着ているのに、いつもと同じ、ひとりで暇を潰すルーティンの内側にいる。こんなにも可愛い服を着ているのに。僕は「僕の着たい服を着る」という気概で話の通じない人間が着てそうな可愛い柄の半袖ワイシャツを着ているが、ここに『他者の目』が介在していることは間違いない。

 

例えば、僕はゾンビによって荒廃した京都で安住の地を求めて彷徨っている。ゾンビとの死闘でボロボロになった服を新調するために元々は服屋であったと思われる廃屋に立ち入る。そんな折、この半袖ワイシャツを選ぶだろうかということである。恐らく、濃いカーキのミリタリーシャツを選ぶであろう。ボトムスは黒のジーンズ、背中にはクロスボウ、腰には拳銃とダガーナイフ。顔は凛々しく、その眼光は獲物を狙う鷹のようである。

 

つまりは、この半袖ワイシャツを購入する際、「他者にどう見られるか」も選定の評価軸に入っているのだ。少なからず、誰かに「これを着ている自分」を見てもらうためにこの半袖ワイシャツを買ったのである。僕の敬愛する漫画『ハチミツとクローバー』において、山田(陶芸科、美人、真山のことが好き)が、真山(建築科、眼鏡、他の女性のことが好き)に「ユカタ似合うな」と言われる為に大騒ぎして浴衣を着るシーンがある。このときの山田と同じである。この半袖ワイシャツは背の低い女の子に褒められるためのものではなかったか。背の低い女の子とのデートに来ていくためにこの半袖ワイシャツを購入したのではなかったか。

 

僕は四条大橋のドトールの2階で雑踏を睥睨し、アイスコーヒーを飲んでいた。すると、「おーい、水野くん」と後ろから呼びかけられた。振り向くと、そこには黄色のワンピースを着た背の低い女の子が立っていた。グラスの乗ったトレイを小脇に抱え、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。彼女は僕の横にぼすんと腰を下ろした。

「あれ?早いね。私とのデートが楽しみで早く来ちゃった?」

「そっちこそ早いじゃんか。待ち合わせって2時でしょ。あと30分はあるよ」

「私はたまたまなの」

彼女はストローでレモネードの入ったグラスをかき混ぜた。カランコロンと涼しげに氷が鳴る。

彼女は僕のワイシャツの袖をつまんで言った。

「あ、その服、可愛いね。ちょっと見せてよ」

僕は彼女の方に体を向け、スポーツ選手にサインをせがむよう、ワイシャツの裾を持ってシャツを広げた。彼女は少し頭をもたげて、まじまじと観察をする。

「これが、ペンギンさんでしょ。これがヒヨコさんで、これが知らない鳥。そして、これが知らない鳥。あと、えーっと、これなんだっけ。あ、そうそう、知らない鳥」

「知らない鳥ばっかりじゃん」

「このシャツいいね。私も欲しい」

「これ、確か、この辺で買ったよ」

「じゃあ、まず、このシャツを買いにいきましょう」

彼女はレモネードをズズッと飲み干した。ほとんど手品である。氷だけになったグラスを手に彼女はニカッと歯を見せて言った。

「はいはい、早く飲んで。いくよ」

 

 

みたいな夏はどこですか。