緑黄日記

水野らばの日記

夏の覇者になりたい

 

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梅雨が明けた。

 

京都の空を長きにわたって覆っていた梅雨雲はようやく逃げ去り、透き通るような青みを帯びた空には夏の権化とも言うべき入道雲が立ち昇る。湿気にくるりんと丸まっていた前髪も今では「良い感じですヨ!」と歓びの声を挙げている。タイミングの良いことに今年の梅雨明けは8月の始まりと同時であった。8月、つまりは夏本番。誰もが「今年こそは!」と鼻息を荒くし、幻と言われる『充実した夏』を血眼で探し求めるものの、結局なーんにも出来ず、路傍の石ころに甘んじる、でお馴染みの8月である。9月には、『充実した夏』の代わりに、何かヌメヌメしたものを手にした人間たちが積み上がり、あたりは死屍累々の様相を呈す。

 

8月1日。僕は安アパートの一室、エアコンの効いた6畳でノートを広げてウンウンと唸っていた。開けた窓からは『夏』の概念を凝縮したような陽気が不躾に入り込んでくる。日差し、匂い、空気、音、どれもが夏である。今年も夏がやってきたのだ。僕は滲む汗でノートを少しだけふやかしながら、ペンをえっちらおっちらと走らせた。『この夏やりたいことリスト』を作成していたのである。

 

何事を成すにも、まず「夢」がなければならない。「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」これはかの吉田松陰先生の言葉である。そうなのだ。夏の「夢」たる『この夏やりたいことリスト』なしに、『充実した夏』は手に入らないのである。なんとなく、綿毛のようにふわふわと8月のスタートを切るのは愚者の行いだ。なんとなく始めたものはなんとなく終わってしまう。8月はそんなに甘くない。そんなことだから夏の終わりに「今年の夏も何も出来なかったな…」と狭い部屋に蹲ってメソメソと涙を流すのだ。聞いているのか、昨年の自分。僕は夏の栄光を掴むため、幻と言われる『充実した青い夏』を駆け抜けるため、そして、夏の覇者となるために筆を取ったのである。

 

『この夏やりたいこと」を箇条書きで書き殴った。

 

○背の低い女の子と寄せては返す波をピチャピチャと踏む。

○背の低い女の子と金魚を掬う。

○背の低い女の子とパピコをはんぶんこする。

○背の低い女の子の浴衣姿を褒める。

○背の低い女の子とカフェで涼を取る。

○背の低い女の子と鴨川納涼床で膝を合わせる。

○背の低い女の子に黄色いワンピースを買ってあげる。

 

ここまで書き出して、僕は気が付く。なるほど、僕が夏の覇者となるには、『背の低い女の子』が必要なのだな。そうと決まれば、やることはひとつである。『背の低い女の子』をどこかで調達してくるのだ。僕に好意を抱いてくれれば尚良し。「僕に好意を抱いている『背の低い女の子』を得て、彼女と一緒に『この夏にやりたいことリスト』を消費していく」これが吉田松陰先生の言うところの「理想」なのであろう。後は、「計画」さえできれば、「成功」たる『充実した夏』が手に入るのだ。なんだ、簡単なことでないか。

 

僕は計画を練った。『背の低い女の子』、あわよくば『僕に好意を抱いている背の低い女の子』を手に入れるための計画である。思案を巡らしに巡らし、その思慮が京都の全ての通りを巡った結果、僕は途方に暮れた。どのようにすれば『僕に好意を抱いている背の低い女の子』を得ることができるのか、皆目見当がつかないのだ。よもやサルゲッチュのように虫網で捕獲するわけはあるまい。僕は暇さえあれば『背の低い女の子』とのアバンチュールを妄想しているが、その妄想の中ではしゃぐ彼女は印象派絵画のように輪郭が曖昧なのだ。現実味がないということである。何をどうすれば、『背の低い女の子』とふたりで海に生き、縁日に行き、京都界隈を練り歩けるのだろうか。僕は途方に暮れ、ついでに日も暮れ始めた。ここにきて経験値不足がボディーブローのように効いてくる。しかし、泣き言は言っていられない。なぜなら僕は夏の覇者になるのだから。

 

まず、僕の魅力を京都に暮らす遍く『背の低い女の子』に知らしめる必要があるのでは?

 

僕はそう考えた。僕の人間的魅力に疑いようはない。しかし、僕はこれを誰かれ構わず振りまくほど無粋な人間でない。『背の低い女の子』がこの内面に秘めた僕の魅力にメロメロとなり、「水野さんステキ!」となるためには、まず、彼女らに僕の方へ近づいてもらう必要がある。そのためには、外面的魅力を持ってして、「近づいても怖くありませんよ」とアピールする必要があるのだ。外面は内面の一番外側なのである。

 

というわけで、古着屋さんでかわいい半袖柄シャツを買いました。以上、8月1日の日記でした。