緑黄日記

水野らばの日記

あたしを彼女にしたいなら優しいだけじゃダメ

 

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彼女欲しい

 

ここでいう、「彼女」とは女性を指す3人称のことではなく、恋人の女性のことである。僕は「自分のエゴを押し付けないことが美徳だ」などと、中学生並の恋愛感を持っているのだが、本来、某ミスチルが歌っているように、恋なんてエゴとエゴのシーソゲームなのである。「優しくしたい」というエゴを押し付け、それを許すことが恋人という関係である。お門違いもいいところだ。当然の帰結として、「彼女」と呼べる人間を持ち得ない。「この人の彼氏になりたい」ではなく「彼女欲しい」とは人間に対する姿勢がいささか乱暴ではあるが、ないものは欲しい。人間とは強欲なものである。彼女欲しい。

 

願望には大きく分けて2種類ある。現実的か非現実的か。例えば、「本を読みたい」、これは現実的な願望である。一方、「本になりたい」、これは非現実的な願望だ。僕の上記の願望「彼女欲しい」は、感覚としては、後者のカテゴリーにある。僕にとって、「彼女欲しい」は「本になりたい」「空を飛びたい」「猫を撫でるだけでお金をもらいたい」などと同じように非現実的な願望なのだ。非現実的な願望は遠い景色のようにぼやけて見えるもので、「彼女欲しい」とは思うものの、この願望に対して、仔細に観察できた試しがないのである。平たく言えば、よくわかっていないのだ。

 

この願望を観察するための手引きとして思い当たった曲がある。コレサワの『あたしを彼女にしたいなら』だ。

 

 


コレサワ「あたしを彼女にしたいなら」【Music Video】

 

コレサワは大阪出身の女性シンガーソングライターである。背の低い普通の女の子の、有り体に言えば「等身大」な歌詞を中毒性のある可愛らしい歌声で歌い上げる。恋とがっぷり四つを組むヒロインを可愛らしく描くのが非常にうまい。彼女はメディアには一切顔を露出せず、マスコットキャラクターの「れ子」という熊の被り物をしてインタビューを受けたりしている。ライブに赴くと、彼女の素顔を見ることができる。ちなみに、ネタバレではあるが、彼女は可愛いらしい背の低い女の子である。ライブで初めて彼女を見た時、「へぇ〜実在するんだ」と思ったものである。

 

『あたしを彼女にしたいなら』は、「あたしを彼女にするための条件」、裏を返せば「あたしの彼氏になるための条件」をつらつらと挙げ、ほんの少しだけ面倒臭い女の子をイメージさせた後、徐々に「こんな私でもいいですか?」といういじらしい乙女の気持ちを描くことで、前振りを回収するというキュートでポップな曲である。読後感ならぬ、聴後感は、「彼のことが好きなのだけど、彼は本当にあたしのこと好きなのか」という不安を抱える女の子の可愛さに身悶えする。

 

曲中の「あたしの彼氏になるための条件」をかいつまみ、自身に照らし合わせるように見ていこう。

 

身長は152cm それ以上あればOK

尖(とんが)っているクツはやめてね スニーカー履いてデートしよう

 

 

はい、クリアです。余裕ですね。デートの時にスニーカー3足ぐらい持っていきます。

 

付き合う前にキスもあれも 君の夢もちゃんと教えてね

 

「キス」はわかる。チューのことでしょ。しかし、「あれ」、「あれ」とは?なんだ「あれ」って、投球フォーム?投球フォームですね。右投げスリークオーターです。よろしくお願いします。そして「君の夢」、夢か。「2メートルくらいあるカニカマを作りたい」「段ボールで作った船で鴨川を下りたい」とかでいいのかな。

 

映画の予告で泣いちゃうくらい泣き虫ですけどいいですか?

 

 

 

いいです。僕も感情の閾値が低いのでおあいこですね。池田エライザさんの写真集を見て泣くことがあります。

 

あたしを彼女にしたいなら 割り勘ばっかは嫌

 

大丈夫です。実家がお金持ちなので。

 

あたしを彼女にしたいなら 優しいだけじゃダメ

ちゃんと叱ったりもしてね よく間違えちゃうから

 

 

感想を言わせていただくと、「ダメなのかよ」というところである。僕は自分のことを優しいところが取り柄だと思っている悲しき獣なので、これはまさに晴天の霹靂である。今まで信じていたものが、足元から覆される。クトュルフ神話のようだ。そして、「あたしの間違いを叱ってね」と続く。女の子のする間違いとはなんなのだろうか。女の子がどんな間違いをするのか検討もつかない。不注意で体育館を燃やしちゃうのは間違い?ミスって京阪電車をジャックするのは間違い?

 

そもそも「間違い」とはなんなのだ。絶対的な正解、不正解なんてものは存在しない。地動説だって、現代に生きる我々から見ると正解であるが、当時の人間からすると不正解なのだ。絶対的な正解なんて存在し得ないということである。しかし、存在し得ないものだからと言って、指を咥えて何もしないのは怠惰である。存在しないものは、主体的に動くことで自分の中に実在させることができる。過去に曲がった選択肢の曲がり角を正解にしていくか、不正解にしていくかは、その選んだ道をどう歩くかのかに依るのである。過去を正解にするために今を生きる。これが人間らしい態度ではないのか。

 

なんの話でしたっけ?遠いところまできちゃいました。コレサワいいですよね。ライブに行くと、気がついたら背の低い女の子になっています。