緑黄日記

水野らばの日記

音楽フェスと自分の葬式

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先日、音楽フェスに行った。

 

野外にてロックバンドなどが複数出演する音楽祭、所謂『フェス』である。

 

僕が行った『メトロック』は大阪の臨海部で開催される音楽フェスである。会場内にステージが3つあり、各ステージで歌手が代わる代わる演奏を行う。SHISHAMOやあいみょん、sumikaなどが出演する。規模は非常に大きく、観客数は2万人とか2万5千人と言われる。みんな意外と暇である。

 

これは完全に余談であるが、音楽フェスの会場というのはアクセスが悪い。基本的に山か海かである。今回は海、臨海部であり、車での乗り入れは禁止で、会場に辿り着く手段は、駅から出ているシャトルバス、最寄り駅からタクシーで会場近くまで行き1kmくらい歩くかの実質的に2択である。そしてこれが非常に混雑する。油断していると会場に辿り着けない。さながらハンター試験である。そこで、僕は何とかして楽に会場へたどり着きたいと考えたのだが、陸が駄目なら海があるではないかということで、船で会場に乗り入れるのはどうかということだ。幸いフェスのHPにも禁止事項として記載はない。みなさん試してみてはどうか。僕は来年そうする。

 

さて、閑話休題である。

 

僕は趣味のひとつとして『音楽』があり、音楽フェスに行く事も毎年本当に楽しみにしている。先日の『メトロック』もバンドの演奏やら雰囲気やら最高の最高であった。『メトロック』を思う存分楽しみ、僕は満足げな阿保面で、会場から駅までのシャトルバスに揺られていた。ここで僕はふとこんなことを思った。

 

「やばい。人生が終わっていく」

 

今、この瞬間にも人生がどんどんと終わっていることに気が付いたのだ。人生は辛くも楽しいのだが、この楽しい人生が刻々と終わりに向かっている。怖い。恐怖である。僕は慌てて周囲を見渡してみた。皆、満足げな阿保面で表情を浮かべている。フェス終わりはみんなこんな顔になるらしい。彼らは隣の席の人間と会話をしたり、スマホを構ったり、口を開けて寝たりしている。もしかして気が付いていないのではないか、この瞬間にも人生が終わっていることに。それとも、それを認識した上で平然とした面で生きているのか。凄いな。

 

人は誰しも平等に『死』が訪れる。あなたにも、偉そうな顔した政治家や、目の上ブルーなおばさんにも平等にだ。それを覆すことはできない。諸行無常に沙羅双樹である。僕の人生にも終わりがいつか来るであろう。

 

自分の葬式に思いを馳せてみる。『死』と言えば『葬式』、『葬式』といえば『死』であるからだ。うちの一族はちょっとだけであるが大きく、ちょっとだけであるが由緒の正しさがあり、僕は所謂『いいとこのぼっちゃん』である。映画『サマーウォーズ』のカズマを思い浮かべていただけたら結構であろう。あの、ハンドルネーム『king kazuma』のカズマである。ハンドルネームが恥ずいでお馴染みのカズマである。親族も多く、式典の参列者も多くなることであろう。そして、規模もある程度大きなものになると予想される。

 

式典には親族だけではなく、いろんな人に来てほしいものだ。友人はもちろん、Twitterのフォロワー、よく行くドラッグストアの店員さん、笑い飯の二人、小学校の時に好きだった女の子、美容院で髪を切ってくれる美容師さん、筧美和子、友達が飼っている2匹のハムスター『うどん』と『そば』。これら式典に参列してほしい人への招待状を今からしたためておくのがいいだろう。

 

当たり前であるが、葬儀や告別式などの参列者は僕のために遠路遥々来るのである。折角、僕のために来てくれたのであれば楽しんでいって欲しい。

 

葬儀というものは特段面白いものではない。『静かに厳かに』が不文律として掲げられている。しかし、そんなものは僕の人生の最期には相応しくないと考える。僕は静かで厳かとは無縁の人生を送ってきた。高校ではバレンタインデーの日に箱を持って各クラスを練り歩き、体育祭の部活対抗リレーに帰宅部として参加した。大学ではちょっと面白いかなという理由で卒業論文を提出するのを辞めて講義のテストにも出ず、1年間留年した。現在、会社では上司に「ねぇねぇ、焼き肉連れてってよー」と言ったり、先輩が書類をシュレッダーにかけていると、「その仕事僕にやらせてください!」といって仕事を奪ったりしている。

 

人生の最期、死に際はその人の本質を表すといわれている。まあ、死んだ後ではあるが、滅茶苦茶なボケをするのが楽しみの人生であったのに、最期だけ厳かに飾り付けようなどとはお笑い草である。平たく言うとウケたいのだ。

 

 

火葬された後に、大きな骨付きチキンになっていたい。