緑黄日記

水野らばの日記

タピオカお食い初め

f:id:rabamizuno:20190415004606j:plain

人生には何事にも『初めて』がある。初めての恋。初めての旅。そして初めてのタピオカ。タピオカのお食い初めをしようと決めた。

 

僕は元来、『食』への興味が薄いが、それはまだ僕が猛烈に興味をそそられる『食』を見つけることが出来ていない可能性もある。自身を『食』への興味が薄いと評するのはいささか経験値が足りないのではという気になった。経験せずに頭から決めつけるのは愚者の行いである。偏見は経験による予測であり、偏見は差別を生む。自身の、そして社会の差別をなくすためには、分母である経験を増やすことが大切ではないのか。

 

ということを考えながら、タピオカミルクティーのお店の行列に並んだ。茶色い看板にはお洒落なフォントで『タピオカ専門店』と書かれている。このお店は近所のアーケード街の一角にあり、お店の前を通るといつも行列が出来ている。こんなに大衆に受け入れられている店なら安心であろうと目星をつけていたのだ。そして、今日こそと、意を決しお店の列へと並んだ。日曜の午前なのに列ができているのは、信頼の証と捉えてよいだろう。

 

列が進み、自分の番が来た。店員さんに促されメニュー表を見る。僕はメニュー表でオススメされているジャスミン茶のミルクティーを注文した。ジャスミン茶の紅茶は好んで飲む。そしてミルク、つまり牛乳も同様である。好きなものと好きなものが合わさって好きでないものが出来る訳はない。

 

店員さんが「かしこまりました。トッピングは如何なさいますか?」と僕に問う。

どうやらミルクティーにタピオカがデフォルトで入っているのではなく、タピオカはトッピングという扱いらしい。タピオカ専門店でタピオカがトッピングとは此れ如何にと思ったが、僕は暴れ出すこともなく「タピオカ入れてください」と言った。僕はこんなことでは暴れ出さない。何故なら僕は良識ある大人であるからだ。

 

「サイズは如何がなさいますか?」店員さんが言う。

カウンターの上に大小2つのカップがあり、それぞれMLと書かれていた。何故サイズが2つしかないのにMLという表記を使っているのだ。Lはわかる。Mは、Mはなんなのだ。MIDIUMMではないのか。3つ以上のサイズの選択肢があり、初めて生まれるのがMではないのか。と、ここでも憤慨するが、暴れることはしない。良識ある大人としては当然のことである。Mサイズにした。

 

「ありがとうございます。580円になります。」と店員さんは言った。

580円!?シルバニアファミリーの家具が買える!!と高値に驚いたがこれは確認しなかった僕が悪い。

 

かくして、人生で初めてタピオカミルクティーを手に入れた。なるほどストローが太い。これで詰まることなくタピオカを吸えるのか。容器も洒落ている。映()える。

 

さて、タピオカのお食い初めである。僕は咥えたストローからズズッとタピオカミルクティーを飲んだ。ジャスミン茶のミルクティーは美味しい。やはり好物と好物を合わせると好物ができぬ道理はない。そして、肝心のタピオカである。タピオカを口に含み噛んでみる。不味い。なんなのだこの噛み心地、そして舌触りは。むにゅむにゅ、むちゃむちゃとしていて、じめじめしたところを好む生物を思い起こさせる。ひどく不味い。口に合わない。

 

断っておくが、これはタピオカを批判している訳では無い。タピオカが僕の口に合わなかったというだけの話である。僕には僕の正義があり、タピオカにもタピオカの正義がある。正義と対立するものもまた別の正義なのだ。

 

ミルクティーを飲み干し、タピオカのみ残された容器を見つめた。しかし、睨めっこしていてもタピオカは減らない。これは本当に申し訳ないが、容器を家に持ち帰り、タピオカは燃えるゴミとした。これには本当に申し訳なさを感じている。人間は食料を生み出し、そして生み出した食料の大半を捨てる。いささか理解し難い生物であると人間以外の動物たちは言うだろう。僕もそんな人間のひとりであることに少々の絶望感がある。

 

414日はタピオカ記念日となった。俵万智先生だったら1首詠んでいる。